書けないことの焦りから無理やり書いたけど、この作業も無駄じゃないと納得できる日をきっと迎える。
きっときっと、と言い続けて死ぬのかもしれないけど、それならそれでいいとも最近は思う。
とりあえず明日からは適度な仕事、人にも会う、ジムを一層頑張る。
次は11月。
2004年、6歳。「笑の大学」という作品に映画館で出会った瞬間に、私の人生は決まってしまった。スクリーンの中の椿一になると、確かに思った。あの瞬間のトキメキを信じて生きてきた。
2025年、夢を追う。机に向かい、自分が書きたい連ドラとは何か考え続ける。何も出てこない。あのトキメキを信じていたいのに、遂に懐疑的になる。
自分の忘れられない感情を疑うこと、疎ましく思うこと。それが私にとって最も辛い行為であるけど、この夢に引っ張られて道が決まったこの一生で、どうしても起こってしまう。
辛い。
あまりにも書きたいことが浮かばなくて激悶している。
遂に仕事も落ち着いて、仕事のせいにも出来なくて、さらに激悶する。こんな苦しみの中に何年もいて、誰にも分かってもらえないのだと時折絶望まで襲ってくる。
私の書いたものには価値はないのだろうか。
上半期に簡単にまた2作品を落とされてどうしたって懐疑的になる。締切月には珍しく、人に会ってる会ってる。どうせ書けないと思って会ってしまう。来週は週の真ん中に休みを取った。もう少し書く時間を確保しなくてはならないと、頭では分かっているが方法が分からない。逃げるほうがいつも簡単だ。
書くことはこれからもお金にならないだろう。しかし、私は書くことしかやりたいことがなく、自分らしい場所がないため、「書く」に至ることが安らぎに至ることだと悟っている。どうせお金にならないなら、すぐに獲得できなくてもいいような気すらしてくる。30になるまで時間がない時間がないと焦っているけど。
なるべく自分を嫌いになりたくないのだが、書けない時、書きたいことが浮かばない時は恐ろしく死にたくなって、逃げるように深く深く眠ってみたりする。今日も眠りすぎて頭がいたい。書けない。
苦しい。