2023年12月30日土曜日

死ぬまで生きる日記

 土門蘭さんの「死ぬまで生きる日記」を読んでいる。その第9章で"死にたい"が"書きたい"に変わる過程を読んで、私だと思った。

愛をかけた人のこと。助けたかった、と言う言葉がどうも近い。私の存在が助けになると言うような事を言って貰えて、つい調子に乗っていたけど、昔も今も、私はあの人を助けられないことを思い出した。

死にたい、から逃げるためには、その死にたいの正体について時間をかけて考えなくてはならない。

私は文章を書く事で、土門さんと同じ答えに辿り着いている。見事なまでの孤独。それが私の抱える闇の正体である。そしてそれが、神から私が受けた唯一の才能のたねであったらしい。この本を読んでよく分かったような気がした。

死ぬ度胸もないと繰り返す、その哀しそうな目は宇宙だった。抜け道のないブラックホールのような暗黒。

君にもひとりぼっちという才能が与えられているようだから、それを上手く使ってやれ。

死ぬまで生きるために。

2023年12月21日木曜日

没関係

没関係、メイグワンシー。

二泊三日で台南に行ってきた。台北から更に南に2時間弱。こじんまりした古都だ。

初日から飛行機が遅れ、着いたら21時とかだった。とにかくご飯だ!と武聖夜市に繰り出して、大鶏排(ダージーパイ)とつみれスープを手にれ、台湾啤酒で乾杯してると、屋台のおじさんに「日本から来たの?」と聞かれた。

声をかけられたのが嬉しくて、「日本ー!」と返してからつみれスープをもりもり食べていると「これはサービス」と言って、塩味のさっぱりした焼きそばみたいな麺を持ってきてくれた。私がその屋台で使ったのは、わずか90元なのにだ。

メイグワンシー。没関係。日本語で気にしないよ。それぞれがそれぞれの範囲の中で、迷惑を受け入れる。台湾人が持つ道徳性の事だ。私はこのメイグワンシーにこの日から悉く助けられる事になったので、その話を記録しようと思う。

2日目は朝から台南の街に繰り出した。この日は午前中は25度くらいで、歩き回ってるとじんわりと汗をかく陽気だった。牛肉湯で腹ごしらえをした後で、「大観音亭」の月下老人さまに会いに行ったが、どこにいらっしゃるやら分からない。

困ってキョロキョロとしてると掃除のおばちゃんがじわじわと近付いてきた。しかし、私は英語が出てこなかったので、中国語で月下老人さまの居場所を聞こうとスマホを取り出す。なんと、そうやってGoogle翻訳でモタモタしてる間もおばちゃんは横で待ってくれているのである!結局、月下老人さまには会えたものの、参拝の仕方が分からず、とりあえず花を買って添えて祈ってきた。多分間違っていました......。

例えは悪いけど、アメリカだったら待っていてはくれないだろう。その次に行ったルーローハン屋のおばちゃんも日本語が達者で、良くしてくれた。

良く日本人は「台湾は親日だ」と言うけれど、それは失礼な気がする。台湾人はたとえ相手が日本人でなくても、親切にするからである。そう育っているから

2日目の最後に台南の南西にある塩田に行った。市街地からは車で1時間は離れた辺鄙な地だ。そこで日没ちょうどには間に合わなかった夕陽を見て、寒さがこたえながらホテルに戻ろうとするが、タクシーが捕まらない。Uberで何度呼んでも来てくれない。

途方に暮れ困っていた時、出店の主人が近付いてきた。中国語で何か言ってる。とりあえず携帯で「タクシーがなかなか捕まらないんです」と見せると、こっちで呼んでやると言う。そこに観光センターの女の人も加わり、わざわざ呼ぶ前に「ホテルまで900元だそうです。大丈夫ですか?」と携帯を使って聞いてくれた。

その後、タクシーを待つ私たちに熱々の卵をくれたり、立って待っていたところに椅子を持ってきてくれたりした。凍死寸前だったので私たちは半泣きであった。

気にしないよ、迷惑でも。

この間、新橋で転んだ時(気をつけて下さい)、誰も見向きもしてくれなかった今の日本人を想う。東京人は冷たいと言われるのが、東京人として長らく切なかったが、事実であるのは否定できない。

台湾人が持つメイグワンシーの精神を、私は大切に胸にしまい、日本に持ち帰ったのであった。

2023年12月20日水曜日

愛の像

 愛(アガペー)の像。

東京駅はその昔、死への入口だった。赤紙で招集された軍人たちがそこから戦地に向かったからだ。

半裸のこの男はGHQに戦犯として処刑されたものたちの遺書を出版して、その収益金で建てられた慰霊碑のようなものらしい。

死を目前にした最後の祈り。その無償の愛たちをひっそりと一身に受けてその男は佇む。何度かの移設を乗り越えて今も。

今日受けた芸術文化講座でそんな面白い話を聞いてきた。たまに仕事にも旨みがある。

2023年12月13日水曜日

続・生きてゆく約束

 こんにちは。ありとあらゆる日記を読んで、ありとあらゆる媒体で日記を書いてきました。しかし、いつまでも居心地の良い場所が見つからず、ただただ並んでいってくれるこの場所に辿り着きました。

11歳の頃から14年間、同じ夢を追いかけています。テレビドラマが書きたいという、夢です。夢は持ってみるととても素敵なものだったし、人生の進むべき道は、いつもはっきり見えてきたけど、その影で私にこびりつくような希死念慮を与えました。

自ら命を断ちたいと思うことは少ないです。ですが、よく、突然この生が終わらないかなと考えてしまうことがあります。それは、夢が叶ってないからだと、今は思っています。

私は少し前に「生きてゆく約束」という電子書籍を出しました。そして、生きてゆこうと自分に約束しました。

だから日記を書いて、希死念慮と闘い続けます。

軽率に死んで人の中に残ろうなんて思いませんし、むしろ生き抜いて人の中に残ってやりたいです、生きたまま。

ただ、自分から命を絶った人のことも、一切否定しません。むしろお疲れ様でしたと思ってしまいます。

一度にたくさん書かなくても、これからもこの約束は続いていきます。

だからゆっくり、また書きます。

生きてゆく約束も良かったら読んでみてください。

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ザキコ

無言も愛している

昔から沈黙も愛せる関係を欲しいと思う。無言の空間も心地よいと思う。 女性の友達は絶え間なく話し、「無言が嫌い」と言ったりする。合わないなと思うが、それだけで友情を諦めるべきなのだろうか? 歩み寄ったり譲ったりするのは難しい。 「私こうだからさ〜」と言われた時、全然そんな人じゃない...