2024年1月25日木曜日

五年日記

最近26になって、五年日記をつけ始めました。日記が埋まるまでには、なりたい私になっていますように。



2024年1月17日水曜日

生きづらさの正体

誰しもに「こうありたい」「こう生きたい」と願う姿があって、その姿と自分を見比べた時の愕然とするギャップ、これが粗方の生きづらさの正体だろう。

「謝る必要なくない?」とまた言われた。私は誰かを敵にしたり、矢面に立たせたりしたくないため、自分が悪くなくてもイーブンにしようと、とりあえず謝っとくという性質があり、そう言われると痛いとこを突かれている。

私は自分の持つ理想と現在があまりに遠くて、よくぐったりする。そのぐったりが一定以上募った時にふと、消えてしまいたくなる。

そんな事を昨日、先輩に話していたら「お前はやれてるから大丈夫だよ」と再三言ってくれて救われた。

人間は情けないくらいがちょうどいい。大切な人を心を尽くして想っていられれば、生きてゆけるだろう。

生きる事は生き恥を晒す事

と小山田壮平が言ってた。私にはこの言葉がお守りである。

2024年1月14日日曜日

冬、公募の陣

 毎年、1月2月は大型公募と闘っています。かの有名な坂元裕二氏や野木亜紀子大先生を輩出した大事すぎるあの公募なわけですが、2次落ち→1次落ち→1次落ちという最近の戦歴なのでマジでそろそろ3次辿り着きたい、アーメン。

 何度やっても骨の髄まで病む。冬で寒いのもあるけど、なんか他の公募とは違う背後感というか、出せなかったら自分を呪いでなぶり殺しそうだから崖っぷち感というか。まあ出してもここ3年は全く相手にされてないんですけど、それでも自分の中で存在がどんどん巨大化していっている節がある。

 なんといっても野木大先生が好きすぎて。あの人が大賞を取るまで何年も、6年間か。固執していた公募であるので、私も本当に大賞取りたい。嗚呼。

 それとですね、本当に残酷なことに一日違いの締め切りでもう一個公募があるわけですよ。残酷ですよね。今でも信じられないですもん。でもちゃんと出しますよ、ほんとに今年からは。もうすぐ26になってしまう。いよいよ自分的立ち止まりラインの30までカウントダウン出来そうで、更に更に追い込まれてきている。

 今の本業で、仕事を持ち過ぎている。いや良い事だし、考えたくはないけどサラリーマンを今後続けていかなきゃ生きていかれない時のためにも財産を作りたいとは思ってなるべく頑張るんだけど、マジでぐったりする。脚本家になりたいのに、二の足ばかりだ私は!という気持ちになって、本業を頑張っても自分を全然褒められない。アホみたいにしんどいんすよね、これが。それでまあ、どうすれば良いかというと結局は公募を頑張るしかなくて、自責のエンドレスループに入るわけですが。。。

 私しか書けないドラマがきっとある。きっとあるはずだぜ。まだ見えてこないけど。それできっと、あなたのハートを撃ち抜くために、病んでるけど今夜も頑張る。

 母親に「モチベーションは何?」と聞かれ、いよいよ「もう分からないですね」と答えています。本当にわかりません。呪いです。せめていい呪いに出来るように歯を食いしばっています。

 あれこれウジウジと考えずに、今手元にあるプロットをいいドラマにしよう。それをただただ続けていこう、修行僧みたいに。

 いつか自分のドラマが放送に乗ったら、多分めっちゃ泣くと思います。


2024年1月11日木曜日

自分を許したい

今日は仕事で散々で、ぐったりしています。先輩が一緒にチオビタドリンク飲んでる時に「お前は自己評価が低いけど、結構やれてるからな」と言ってくれてちょっと泣いた。

いつまでも自分が好きじゃない。いや、許せていない。

自分を褒められる時は他の人に必要とされたりした時で、他人軸で自分を測るのが誠に嫌すぎる。25年治らない最悪な性質。

去年はカラ元気を貫いた。泣きたくなったら2倍明るくして生きた。そのうちに「また明るくなったね」と言われる時もあって、大成功の粗治療だったけど、皺寄せのように最近は苦しくてたまらない日もある。

失って大切さに気付く、とかいう陳腐な人間の学びは、愚かでしかないけど、ジャニーズのいない日本はつまらなかった。

戻れない過去を想う。

自分を許したい。心から許して、自分を愛せる日が来たら、どんなに嬉しいだろうか。

それにしても飛べないモスキートはいつ聞いても名曲だ。

2024年1月6日土曜日

さびしさ

夜中に襲ってくる身体を切り裂くような冷たい淋しさは本当に厄介だ。

しばらくどうでもいい誰かに連絡して紛らわそうかと携帯を悶々と握っていたが、もうそんな浅はかで他人を利用するような稚拙な考えは捨てたい。いつでも人に優しく、さめざめとも逞しくこの孤独に打ち勝つ私になりたい。

そうでないと私は私を愛せない。いつでも粗探しをしてしまうし、最低だなと自分を指差してしまう。

明日は書こう、書こう。淋しさを身体いっぱいに詰め込んだまま、私の星へいくのだ。

吉本ばななのキッチンを、初めてちゃんと読んで涙して、寒々しくもいじらしい台所に横たわってみた深夜から、世界へ愛を込めて。

私はあなたが、少しでもその淋しさを自分なりに癒して明日も生きていればそれでいい。私もそうやって1日ずつ踏み締めて生きてゆきます。

無言も愛している

昔から沈黙も愛せる関係を欲しいと思う。無言の空間も心地よいと思う。 女性の友達は絶え間なく話し、「無言が嫌い」と言ったりする。合わないなと思うが、それだけで友情を諦めるべきなのだろうか? 歩み寄ったり譲ったりするのは難しい。 「私こうだからさ〜」と言われた時、全然そんな人じゃない...