2024年9月1日日曜日

小さな生活

9月だ!!!

実はクラウドワークスで、You Tubeとかの軽い台本のシナリオ案件でもやって小金を稼ごうと、登録はしたものの、やはり全く気が向かずに一銭も稼げてない。

次の公募の応募も始まったと言うのに、一枚も書けておらず、虚しい2chレス系の台本を書いている場合じゃないとなりつつある。でも小金は稼ぎたいジレンマ。

今日は13時までにはやりたい家事の一式が終わって、21時の今、お風呂もすでに倒している。あとは歯を磨けばいつでも寝れる状態にて、3時間くらい執筆しようと思ってパソコンに向き合い始めたところです。

やっぱり私には利己と利他のバランスが難しい。自分を目一杯大切にしつつ、うまく周りとも渡り歩きたいが、経験の不足なのか、なんなのか。現状とても難しいと思っている。今の上司はアンドロイドみたいですでに好かんが、だからと言って殺伐と接したいわけではない。私ももう大人なので、上手く上手く、かわして行きたいと願っている。

次の休日には近くの単館にでも行く余裕が欲しいから、平日の密度を上げていきたいなと思っている。常に何かを間違え、何かを悔やんで生きているけど、いつでも自分の選択に自信が持てていればいいな。

「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」は、何度も読んできたけど、読むたびに咲子さんが今生きていればなという淋しい感情に押し潰される。今でも本を書いてくれていたら、どれだけ多くの人間を助けただろうか。

最近になって宮崎駿が2013年の引退会見で口にした「この世は生きるに値すると、子供達に伝えたい」と言う思いに心から共感し、作品作りの一つ柱となった。続いて今までいろんな作家を見てきて、好きになってきた結果として、ざっくりとここの路線を走りたいなと言う方向も見えた。たどり着くかはこれからの努力であるが。

父から送ってもらったいくらの醤油漬けがたれがブニョブニョになっていて、冷蔵庫の冷気に直接当たってしまったからな気がしているが、ラップで防いだあの対処法は功を奏してくれるだろうか。最近はやたらにものを送りたがる父の不器用な愛情に、たまに泣かされている。

誰かに愛されたい、と思っているうちはやっぱり未熟なのだと言うことを、最近はよく思う。愛情というのはとても遅れて訪れる。成果などと同じで、人間を幸福で満たすものというのは、「いまさら?」という時に顔を見せる気まぐれな奴らなのだ。

小さな生活と部屋でひとりごつ孤独な夜たち。進まない原稿と、世の中に溢れる才能たち。資本主義が形作った正解らしき何かに怯えながら暮らす。最近、師匠と話せてない。話したいなあ。

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