2025年2月25日火曜日

不退転精神

先ほどとても唐突に「今わたしはノイローゼのようだ」と自覚した。
局の公募すべてに応募しよう、せねばならないとここ2年ほど過ごしたが、その結果、脚本ノイローゼを感じている。
身体の不調は増えたし、書いている作品のアイディアは似通っている。
書く量は増え、スピードは速くなったが、新鮮さや驚きがない。
30が近いと焦るあまり、闇雲になっていた気がしている。非常に。

今は定職を持っているのだし、ビビる必要はない。
コンクールに入賞すれば終わりではなく、その後の下積みは数年続く。
不退転精神を蓄えねばならない。
今の公募を超えたら立て直そう...。

2025年2月23日日曜日

サンセバスチャン行きたい

天気のいい2月の三連休にただ部屋にこもって書くという行動は、もう何年もやっていることだけど、何年やっても絶望感や孤独感で地の底まで堕ちていく。

神が全力で味方をしてくれるのはいつになりますでしょうか?
2024年から、苦しみながらもかなり自分のことを書くようになった。そしてそれがとても自然な創作なのだと思いつつある。

書くたびに自分の過去の苦しみが浄化される感覚もあって、健康にも良さそう。

書くという行為自体が、健康には全く良くないんだけどもね。
サンセバスチャン行きたい。
3月は絶対に丁寧に遊ぶ。

2025年2月22日土曜日

ウェルテル

私の人生は結構ずっと希死念慮と共に進んできていて、それは絶対、悪いことではないと思っている。
むしろ、大なり小なりみんな抱えてると信じている。そんなことを次の脚本で書く。
この三連休は当たり前にこもって書いている。

「休みの日にずっと家にいることなんてないでしょ?」と取引先のおじさんが会食で笑って私に聞いた。全然ある。書いているので。

私の人生は私のスピードでしか進んでいかないが、それでいい。腹を括ろう。
結婚出産子育て。できるかわからなくても、腹を括って私を生きよう。
そんなことを書いていく。今日も。

怪物だーれだ?
見返していたが、多分ずっとすばらしい映画だ。

2025年2月15日土曜日

badに入って疲労

この間浮かんだ種をなんとか形にしようとしていてフィナーレを書いてみるが、全然上手くいかない。これは何をしたい主人公なのか、私が分かってないまま書いていては駄目です駄目でした。
badに入ってしまって疲れる。嫌になっちゃう土日を、何回繰り返せば夢に辿り着くのか。
30歳がいよいよ近付いてる。愛おしい人が欲しい。
色んな節目を振り返って、やり直したいなとか思ってみるが、私みたいなやつは結局今と同じことを繰り返しそうでウケてしまう。
生きてるだけで偉いのに、どうしてbadは襲ってくるかな〜〜〜。
綺麗なものは書けないので、しっちゃかめっちゃかの生き恥全開、共感性羞恥!みたいなものを書こうと、最近は心に決めています。
早く世間が私を見つけてください。
badに入っても死なないように何とか自分を繋ぎ止める。だから今日もそこそこ偉い。

2025年2月2日日曜日

眠る間際

気付けなかった愛情とかそういうのについて考えてた。

私は従兄弟に死なれている。自ら。
なかなか人には話せない話で、親戚の中でももう誰も口に出さない話で、心の中でずっとずっと残り続ける話である。
部屋を1人で片付けて、小さく眠った彼を想うと途端に世界が信じられなくなる。
私は彼のことを何も知らなかったし、知ることができなかった。
母が姉と仲が悪かったから。

父が両親と仲が悪くなってから、余計にばあちゃんに懐くことができない私がいる。
「じいちゃんはあなたのこと、分からないからね」と言われた時、ものすごく傷ついたことを忘れられない私がいる。
じいちゃんが認知症になってから生まれたから、私は一度も孫として認められることはなかったとばあちゃんが言う。
本当のことは死んだじいちゃんしか知らない。

大好きな母方のおじいちゃんは大学四年で死んだ。冷たくなった額を触って、弾いてくれたエリーゼのためにを思い出して、吐きそうになりながら泣いた。失うと言うことを知った。
たまに墓石に手を合わせに行くと、私がしゃがむ場所を陽光の溜まり場にしてくれる。出迎えてくれている感覚になる。失ってもそばにいることを知った。

眠る間際に、気付かなかった愛情について考える。
しっかり生きたいと、また想う。

まだ生まれていない傑作へ

悶々と悶々と机に向かう。 歳が近い人が早いうちからテレビ脚本を書いている。いちいち悔しくていちいち切り裂かれる。 本格的に構造などを頭に入れ始めてから早くも8年が経過。もっと早くやれば良かったけど、私あまりセンスがある方でもないようだし、時間がかかるのは仕方ないのだろうか。悶々。...