2025年8月10日日曜日

ふたつの終わりとわたしの始まり

2025年は本当に苦しい年だと思う。
半分をゆうに超えて、後半を生きながら何度も思っている。
よく耐えて生きているなとも、思っている。
もう少し仕事は適当にやろう。今月を超えれば、誰から責められることもない。適当にやろう。

二人の人と向き合って、確実に関係を終わらせてきた8月。
こんなに心のうちを明かして、ちゃんと話し合ってもう会えませんね、という作業をしてきたのは人生でも初めてだったかもしれない。
なんだか、急に人と向き合わないといけない気がして、そうしたのだった。

9月末までの公募のアイディア出し。一日のほとんどを捧げたが、当たり前のように何も出なかった。今さらであるけど、やっぱり毎日コツコツやらないと結果に結びつかないなと悟る。
今週から1時間は机に向かう習慣をつけたいと思う。ジムと脚本は習慣にする。

野木亜紀子が絶望してる暇があったら美味いもん食って寝ろと言うから、わたしもそうやってなるべく健やかに生きたい。自分の人生を諦めずに、かつ脚本を大切に抱いていられる持続可能な体力と気力をつけること。それが私にとっての急務である。

ふたつの終わりの後に、わたしが始まった。わたしがわたしを諦めてどうする!
前を向け。

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